ロベルト・ボラーニョの最後の作品『2666』(2014年)を読んだので感想を書いてみたい。
ベンノ・フォン・アルチンボルディ
『2666』の主人公は、ベンノ・フォン・アルチンボルディという名のドイツ人作家。そのアルチンボルディの人生を主軸に、舞台は戦前のドイツの町から世界大戦とナチスによる混沌を経て、最後にはメキシコ北部のサンタテレサで起きる連続女性殺人事件へとつながっていく。
アルチンボルディという作家の人生については第5部で明らかにされる。謎めいた作家ベンノ・フォン・アルチンボルディの名前の由来は次のように語られる。
「ベンノという名前はベニート・フアレスにちなんでつけられたんです」とアルチンボルディは言った。
776ページ
ベニート・フアレスは「先住民族から選出された初のメキシコの大統領」でありメキシコ建国の父で、現在のメキシコ・シティ空港の名前にもなっている。
アルチンボルディは幼少の頃から「海底」に興味を持っており、地下に沈んだアステカ文明への関連を彷彿とさせる。
つまり、アルチンボルディが晩年にメキシコへ行ったのはある意味で運命であり必然であった。
晩年に訪れたサンタテレサで、アルチンボルディは大事件の渦中に降りたっていくことになる。
サンタテレサ
メキシコ北部の町サンタテレサで女性連続殺人事件が発生する。これは実際に国境の町シウダー・フアレスで起きた事件をなぞっている。1993年に始まり 2003年ごろまで続いたこの連続殺人により10年間で370人以上の女性が実際に殺害された。なお、この事件については第4部「犯罪の部」で詳細に語られる。
〈アステカ文明/スペイン侵略〉、〈第二次世界大戦/ナチス・ドイツ〉、〈シウダー・フアレスの連続女性殺人事件〉。これら実際に起きた3つの歴史的な殺戮の歴史を体現した「巨人」アルチンボルディがついにメキシコに訪れるところで『2666』は終わっている。
受付係は肩をすくめ、メキシコというのはさまざまなものに捧げられたオマージュのコラージュなのだと言った。
336ページ
『この国のひとつひとつのものが、世界のあらゆる事物へのオマージュなんです。まだ起きていないことに捧げられたオマージュもあります』と彼は言った。
アルチンボルディにまつわる批評家の言説で『2666』は始まり、アルチンボルディがメキシコを訪れるところで本書は幕を閉じる。
世界の秘密
連続女性殺人事件の犯人は明らかにされない。むしろ登場人物の一人がいうにようにこの事件には「誰もが関わっている」のだから、犯人を特定することは不可能だろう。
作者ボラーニョの意図は、この連続女性殺人事件が意味するものはメキシコの北部の町で起きた局所的な猟奇事件にとどまらず、「世界の秘密」へとつながるものである。
フェイトはグアダルーペ・ロンカルの言葉を思い出した。この連続殺人事件のことなんか誰も気に留めていないけれど、そこには世界の秘密が隠されている。グアダルーペ・ロンカルが言ったのか、それともロサが言ったのか? ときどき道路は川に似ていた。それを言ったのは殺人事件の容疑者だ、とフェイトは思った。黒雲とともに現れた、あのいまいましい白皮症の巨人だ。
344ページ
アステカ文明への侵略、世界大戦とナチス・ドイツの虐殺、そしてメキシコの連続女性殺人事件はアルチンボルディというドイツ人作家の生涯を通じて『2666』のなかで線としてつながるのだ。
マイナー作品であり、21世紀の傑作
『2666』を読んで圧倒されるのは、世界史的な広大なスケールで物語が展開し、何層ものテキストが織り込まれ、「2666年」という未来の地点へ向けて読者に開かれていくところだ。
ボラーニョは別の『野生の探偵たち』等においても、作家/出版社/批評家/読者をめぐる関係性についてなんども触れており、『2666』においてはさらに踏み込んだ意思表示がみられる。
死が間際に迫っていることを受け止めつつボラーニョは『2666』を書き上げた。2004年に死後出版された『2666』という長編作品は、まさに作中で論じられるように、マイナー作品であり、そして「傑作」だった。
どんなマイナーな作品にも秘密の作者がいる。その秘密の作者は決まって、傑作の作者なのだ。
754ページ
これほどの傑作は21世紀にはもう読めないのではないか、と読後に本気で思ってしまうほど強烈で力強い作品だった。
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