スウィフト『ガリバー旅行記』のあらすじと感想

ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』(1726年出版)を読む。

作者のスウィフトが実際に経験した政治的な失望と、積年の憤懣が「旅行記」の形を借りてぶちまけられる風刺小説。

数々の映画化やパロディをはじめ、『ガリバー旅行記』にはたくさんの逸話がある。第三部では宮崎駿の『天空の城ラピュタ』のモチーフになった「空飛ぶ島ラピュタ」が登場するし、第四部ではYahoo!の名前の由来であるヤフーという野蛮な種族(=人間)が登場する。

あと、ガリバーは日本にもちょっと立ち寄っていて、江戸とか長崎(Nangasac)にも来ている。「ナンガサック」って(笑)。

第三部は日本(JAPON)の近海が舞台

野蛮な種族ヤフーと見た目が似ている主人公ガリバーは、自分はヤフーとは違い知性も理性もあることを必死にアピールする。なんとか理解してくれた馬の主人に、ガリバーは自分が住んでいた人間の世界の風習や仕組みを語って聞かせる。すっかり馬のフウイヌムに感化されたガリバーは、人間の世界を嫌悪するようになっていて、人間性の皮をどんどん剥いでいく。

『ガリバー旅行記』は、人間以外の生き物が人間を見たらどう思うかという発想がすごい。「そこまで言う?」と思ってしまうくらい、人間をボロクソにこき下ろす。

心身ともに病んで腐った、いかにも醜悪な図体のくせに、いっぱしの人物を気どって 傲慢 にかまえているやつを見ると、たちまち怒りが沸点に達してしまう。よくもまあ、こんなにもみにくい動物にふさわしく、こんなにも邪悪な精神が宿ったものだ。賢く高潔なあのフウイヌムたちは、理性を持つ動物にふさわしいすべての美点を備えていたが、この傲慢という邪悪さを言いあらわす言葉を持ってはいなかった。

フウイヌム国で馬の高貴な生き方に染まった主人公ガリバーは、祖国イギリスへ戻ることや再び人間(ヤフー)と暮らすことを拒む。しかし、最終的には強制送還されてしまい、余生を自宅で過ごすことになる。

最後にガリバーは『旅行記』を書いて出版した目的を語る。

さて、親愛なる読者よ、わたしの十六年七ヵ月あまりにわたる旅の忠実な記録をここにお届けしよう。文章を飾るより、まず真実のみを語ることに重点を置いたつもりだ。ほかの旅行家たちのように、とうてい本当とは思えない不思議な話ばかりを並べれば、読者を驚かせることもできただろう。だが、わたしはありのままの事実を飾らずに記録する道を選んだ。読者を楽しませることではなく、真実を伝えることが主たる目的だったからだ。

〝徹底的に事実のみを語る〟ことだけを考え、その原則をけっして踏みはずすことのないよう、自らを律してきたつもりだ。

「真実を伝えること」を強調するガリバー。他の旅行記は虚飾に満ちているが、自分の「旅行記」は真実だけを書いたと。

小人の国、巨人の国、空飛ぶ島の国、馬が統治しヤフー(人間)が奴隷となる国。これがガリバーにとっての「真実」なのだ。

普段は見えない「人間」の醜さを文字どおり拡大・縮小してあばき出すこと、視点を変えれば「真実」すらも変わってしまうことをガリバーは身をもって語る。

出版当時はかなりの反響があっただろうが、いま読んでも変わらない刺激がある。

『ガリバー旅行記』はこども向けのファンタジーではなく、おとなのためのするどい風刺小説だった。

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