紀行文と哲学的な探求をミックスした作品。
アメリカの伝統的なロードトリップにテクノロジー論や、哲学的な探求が組み込まれる。
古典的な見方、ロマンティックな見方への二分法的分析。
現代社会ではこの二つが分裂。
主人公は、この分裂を統合する概念として「クオリティ(Quality)」を提示します。クオリティとは、主体(見る人)と客体(見られる物)が分かれる前の「純粋な出来事」であり、真の現実そのものです。 オートバイの整備に没頭し、対象と一体化して「良きもの」を生み出そうとする姿勢(=禅の精神)こそが、この分裂を癒やすと説きます。
オートバイの修理技術は、必要なもの何に、言語化されておらず解明されていない。
オートバイが象徴するものに、(当時の)テクノロジーが重ねられる。
つまりオートバイを修理する技術を解明することとは、世界を解明することを意味する。
二分法的、修辞学(著者がかつて大学で教えていた専攻)を経て、人生の意味と世界が解明される。
ミネアポリス (ミネソタ州)からサンフランシスコ (カリフォルニア州)までの親子のロードトリップ形式で語られる。

オートバイの整備は、「自分の心の手入れ」のメタファー(隠喩)です。 ボルト一本を丁寧に締めるような、目の前の現実に真摯に向き合う態度(=ケア)があれば、無機質なテクノロジーの中にも「仏性(禅)」を見出すことができ、日々の生活に「クオリティ」を取り戻せると著者は伝えています。
“The Buddha, the Godhead, resides quite as comfortably in the circuits of a digital computer or the gears of a cycle transmission as he does at the top of a mountain or in the petals of a flower.”
仏陀や神性は、山頂や花びらの中と同じように、デジタルコンピュータの回路やオートバイの変速機の中にも心地よく宿っているのだ。



