本書を読みながら、ずっと頭のなかで意識し比べていた本が2冊ある。1冊目はマルケス『百年の孤独』、もう1冊は80年代に出版されたアメリカの未訳の長編小説。
『百年の孤独』はマジックリアリズムと呼ばれるジャンルで一番有名な本である。もう1冊の未訳のアメリカ小説は――オスカーに酷似の――肥満のオタクが主人公で、サブカルチャーや映画などのジャンルを小説に忍び込ませた名作。どちらも既存の小説という概念を拡張した偉大なる小説だった。
この2つの先行する偉大な小説の要素を、つまりマジックリアリズムとオタク文化を合成したのが『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』である。
ドミニカ共和国出身の作家が書いたオタクの物語であり、マジックリアリズム的な要素(一族、呪いの歴史)をまといつつ、オタク (nerd) の短く凄まじい人生を描く。
ポップカルチャーを文学に取り込んだ例は多いが、本書ほどオタク文化を文学に融合させた作品は珍しい。それにドミニカ人の歴史や文化を下敷きにするところは独自性がある。ピューリッツァー賞や全米批評家協会賞を受賞した作品であり、その名に恥じない名作だと思う。
主人公はドミニカにルーツを持ち、アメリカのニュージャージーに住む肥満体のオタク青年オスカー。
若きオスカーが陶酔した作品は数え切れないほど言及されるが、その一部はこのようなものだ。トム・スイフトのシリーズ、ラヴクラフト、ウェルズ、バローズ、ハワード、アリグザンダー、ハーバート、アシモフ、ボーヴァ、ハインライン、E・E・「ドク」・スミス、ステープルドン、ドック・サヴェジ・シリーズ。そしてロール・プレイング・ゲームや『指輪物語』。
飢えたオスカーは本から本へ、著者から著者へ、時代から時代へと読み漁った。
33ページ
オタクの世界で生きられればオスカーも幸せだっただろうが、そうはいかない。オスカーの一族、ドミニカ人には「フク」という呪いがつきまとう。オスカーにとっての呪いは繰り返す恋愛と失恋であり、日の目を見ない小説だっただろう。
そんな彼を支えていたのは強き母親であり、数々のオタク文化の世界観と言葉だった。
八〇年代が進むにつれ「世界の終わり」に対する強迫観念を募らせていったタイプのオタクだった。
35ページ
オスカーは呪いを振り落とすように彼なりに必死に生きるが、どうしても物語はオスカーの「世界の終わり」へと進行する。
呪いにかかっているのはオスカーだけではなく、彼の一族の全員が呪いの中を生き、死んでいく。第5章で詳しく描かれる祖父のアベラード、母親、父親(名もなきギャング)、姉、そして自分であり、すべての家族が呪い(フク)の犠牲になる。その呪いこそが、ドミニカ共和国を有史から支配し、小説の舞台となる前後の時代にはトルヒーヨによる独裁政権だった。
オスカーが対峙する羽目になる「大尉」はトルヒーヨ政権の後に続くアメリカの支配でのし上がった「ポストモダニズムでも説明できない極悪人」である。
オスカーの一族の呪いに対する希望(サファ)は、姉の子供であるイシスであり、彼女がオスカー一族の呪いをとき、そして彼女の世代がドミニカ共和国の呪いに対してサファと唱える、という希望を残して終わる。
真実が何であれ、覚えておいてほしい。ドミニカ人はカリブ海の住人であり、ということはとてつもなく異常な出来事に対しても並外れた許容度を示すということを。そうでなければ、我々が生き抜いてきたあれこれをどうして生き抜けただろう?
本書は3部構成で計8章から構成されている。第1部(第1章〜第4章)、第2部(第5章〜第6章)、第3部(第7章〜第8章)。
第1章 世界の終わりとゲットーのオタク(1974 – 1987)
第2章 原始林(1982 – 1985)
第3章 ベリシア・カブラルの三つの悲嘆(1955 – 1962)
第4章 感情教育(1988 – 1992)
第5章 かわいそうなアベラード(1944 – 1946)
第6章 取り乱した者たちの国(1992 – 1995)
第7章 最後の旅
第8章 物語の終わり
語り手の視点は章ごとに移り変わるが、客観的な語りとして多く登場する「おれ」は主人公の友人であり、主人公の姉の元恋人でもあるドミニカ人。この「おれ」と名乗るユニオールは大学の創作科を出ており(オタクではない)、作者ディアスのオルター・エゴであり他の作品にも登場する。
本書は、ドミニカ人の家族をめぐる凄まじき悲喜劇であり、オタク文化を取り込むことで土着的な呪いに戦いを挑む新しいスタイルの長編小説である。『百年の孤独』や他の偉大なる現代アメリカ小説と肩を並べる傑作長編小説が誕生したことを感じる。
【82点】
『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』ジュノ・ディアス
都甲 幸治 (翻訳), 久保 尚美 (翻訳)、新潮社
The Brief Wondrous Life of Oscar Wao (2007) by Junot Díaz
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