トマス・ピンチョンの“Against the Day”『逆光』(2006年)をついに読了した。
2018年の読書チャレンジとして正月から意気揚々と読みはじめ、挫折と長い中断を経て7ヶ月をかけゴールした。
記念に乱雑なメモを書き残しておきたい。
ネタバレ含むかも。そもそも、この『逆光』にネタバレなどというものがあればむしろ教えてほしいくらいだが……。
感想
素人なりにむりやりまとめると、『逆光』には大きな動きが二つあって。一つ目は、別世界の存在をめぐる話(シャンバラ、四次元、気球船〈不都号〉の存在、アストラン等々)があり、もう一つは世界中で巻き起こる反政府主義(アナキズム)の動きがある。
実際に起きた歴史的な出来事で『逆光』で大きく取り上げられているのは、シカゴ万国博覧会 (1893年)、ツングースカ大爆発 (1908年)、第一次世界大戦の勃発 (1914年)。
ここでタイトルの意味を考えてみると、“Against the Day”はそのまま『日に逆らって』という意味。日中(日 the day)に逆らったところにはもちろん夜がある。
「夜」はいわば前近代であり、科学(万博、テスラ、映画技術)が発展する前をあらわす。革命前、大戦前の(古き良き)時代。幽霊、奇術、まじない、錬金術なども生きている。
「日」は科学が発展し、電気の利用、鉄道の開発、映画の誕生などが一気に起こり、第一次世界大戦へと突入し、革命が起き、未開の地(フロンティア)が消えはじめる時代。
(ピンチョンはかつてエッセイ「ラッダイトをやってもいいのか?(”Is It O.K. to Be a Luddite?”)」で産業革命時代の機械破壊運動について書いていたが、こういった話が大好きのようだ。)
近代の夜明けによって、世界は白日のもとにさらされる。かつて夜や暗闇にひそんでいた未知なる存在や可能性は、科学や近代化という日の光によって暴かれてしまう。
『逆光』の登場人物たちは『日に逆らって』生き、未知なる存在を信じて追い求める。世紀の夜明けを舞台に〈偶然の仲間〉たちが繰り広げる抗争とその顛末を描いたのが『逆光』だ!(どや顔で)
と、まあ、そういうことにしておこう……。
おすすめ度:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
以下、気になったところをすこしメモ。翻訳は木原 善彦訳から。
世界はいつだって夜だ。じゃなきゃ光なんて要らないさ ——セロニアス・モンク
シール。チベット語で「チベット商工会議所」と書かれてあるらしい。よく見ると、山の麓にライオンがいるような絵……。
原書にはコレがあるけど、翻訳にはないような。
第一部 山並みの上の光 / ONE : The Light Over the Ranges
第一部の終わりで、語り手「私」が登場し、『〈偶然の仲間〉』シリーズを書いたことを告白する[メタフィクション]。つまり〈偶然の仲間〉は「私」によってつくられた架空の存在だったと読める。
詳しいことをお知りになりたい読者には、『〈偶然の仲間〉と地球のはらわた』をお読みいただきたい。ただし、なぜかこの巻はシリーズ中ではあまり人気がない。地球内冒険に関して私が少しばかり調子に乗っていろいろと書いたために、はるか英国は……『逆光』p.181
with my harmless little intraterrestrial scherzo.
第二部 氷州石 / TWO : Iceland Spar
ジェシモン(jeshimon):本来は聖書に出てくる「荒地(waste land)」を意味する言葉。『逆光』ではユタ州にあるとされる。「沈黙の塔」のイメージと重ねられている。
この辺りの荒涼、殺伐としたこの辺のシーンはとても好きだ。印象に残る場面。
電灯の明かりの中で、二人は相手の顔をしばらく見つめていた。彼女が何を思っていたかは分からなかったが、フランク自身はこの先数年間、このわずか二、三秒の魂の触れ合いを思い出すだけで何マイルものつらい道のりを歩んでいくことができそうだと思った――赤ん坊がいようがいまいが、ベッドの端に腰を下ろした真剣な表情の若い女性の姿と、そこで少しの間だけその目が彼に見せた表情が、一日のメロディーの中で常に戻ることのできるCの和音となった。p316
リーフと〈偶然の仲間〉が小説を通じて交差するところもおもしろい。
彼(リーフ)は三文小説を携帯してきていた。〈偶然の仲間〉のシリーズで、『〈偶然の仲間〉と地球の果て』という巻だった。(中略)彼は時々、巨大な飛行船を探すかのように、気がつくと空を見上げていることがあった。まるで、船に乗った少年たちは人間以外の存在による正義の使いで、彼らはウェブを待ち受ける世界の道を示し、ひょっとしたら、リーフに理解できるかどうかは別として、賢明な助言をしてくれるのではないか。(中略)「あいつらだよ、父さん」と彼は後ろを振り向いて言った。「〈偶然の仲間〉がおれたちを見てるんだ、ちゃんと。(中略)「いや。ここはそんな場所じゃない。何もかもが動いている。変わらないものが何もない。おれの目がおかしくなったのかな……」p.330-331
agents of a kind of extrahuman justice [p.214]
〈偶然の仲間〉=「人間以外の存在による正義の使い」
Tengo que get el fuck out of aqui 「さっさとこんな場所から逃げ出さなきゃ」p.494
ルカ・ゾンビーニ 光と氷州石を操る奇術師
光について
手品に関しては、単なる奇跡を求める熱望、単に普通の世界とは違う現象を求める熱望だから、ばかにする連中がいるわけだ。(中略)神と同じように、おまえたちも常に光と一緒に仕事をしなければならない。光にさせたいことだけを光にさせるんだ(中略)問題はとにかく光なんだ、光を操ることができればトリックを操ることができる p.552
氷州石と分身
「ちょっと違う。これのことをはもう知ってるだろ」そう言って、完全な結晶に近い小さな氷州石を取り出した。「像を二重にする石だ。(中略)人間を光学的に半分にすることさえできる。一つの体を二つの違う部分に分けるんじゃなくて、二人の完全な人間が歩き回るってわけさ、どこをとってもそっくりな二人がね(中略)
「最後はハッピーエンド? また一人の人間に戻れるわけ?」(中略)
「いいや。今はそこのところが引っ掛かってるんだ。まだ誰も――」p.552-553
色あせしていない熱帯風のカラフルな色使いで慎重に印刷されたラベルには、噴火する火山とあざけるような笑みを浮かべたオウムが描かれ、「用心しろ、ばか野郎! オリジナルの爆発ソース!」とスペイン語で書かれていた。(中略)
ラベルに描かれたオウムのいる豊かな世界は、この厳しい氷の世界からは程遠いもののように思われたが、実はほんの紙一重で隔てられているだけだった。一方の世界から他方の世界に移るには、ずっと鳥のイメージを思い浮かべたまま精神を集中して、偉そうな鳥の前でへりくだり、できればオウムの訛りで、言葉の意味が分からなくなるまで「用心しろ、ばか野郎!」と繰り返すだけでよかった p.198
第一部で登場したソースの瓶に描かれたオウム。このオウムとおなじと思わしき喋るオウムが第三部のメキシコでも登場し、狂言回しのように話をする。
「ばか!」とオウムが大声を上げた。「もっと考えろ! 複屈折だ! おまえの大好きな光学的性質。常に複屈折をしている方解石をたくさん含んだ銀鉱山があるんだ、複屈折するのは光線ばかりじゃないぞ! 町だって! 人間だって! オウムだって! おまえはそのアメリカたばこの煙の中をふわふわ漂いながら、すべてのものは一つずつしかないと思ってるんだろ、あほう、おまえを取り囲んでいる奇妙な光が見えてないんだな。ああ、やれやれ! p.604
Wikipediaによると、ピンチョンは1967年から1972年までメキシコに住んでいたと言われている。1962年に長編第1作『V.』を完成させたのもメキシコだった。
はっきり言って、おまえの人生自体が無意味だ。メキシコはおまえにぴったりの場所だな。頭のおかしなアメリカ人の溜まり場さ p.587
このへんのメキシコを舞台にしたフランクはふらふらしていて、『V.』に出てくるヨーヨー男を思い出させられた。個人的に好きなパート。
第三部 分身 / THREE : Bilocations
世界で同時多発的に「分身」が発生し、登場人物たちは「分身」現象に巻き込まれていく。
およそ五十年前から心霊研究の領域で“分身”として知られる、同時に複数の場所に存在するという奇妙かつ便利な能力(下巻p.213)
第三部あたりから、登場人物が多すぎてついていけなくなる……。
第四部 逆光 / FOUR : Against the Day
タイトルでもある“against the day”というフレーズが登場する箇所。翻訳では「次の日に(備える)」。冒頭のセロニアス・モンクの言葉「世界はいつだって夜だ。じゃなきゃ光なんて要らないさ」を思い出させる。
夜が何度も訪れ、何事も起こらず、現象が再びゆっくりといつもの深い紫色へとあせていったとき、ほとんどの人々にとっては、最初のころの胸の高鳴り――何かが始まるという可能性の感覚――を思い出すことさえ難しく、誰もが再び、夜をやり過ごし次の日に備えるための性的絶頂感と幻覚、無感覚と睡眠へと戻っていった。p.1249-1250
As nights went on and nothing happened and the phenomenon slowly faded to the accustomed deeper violets again, most had difficulty remembering the earlier rise of heart, the sense of overture and possibility, and went back once again to seeking only orgasm, hallucination, stupor, sleep, to fetch them through the night and prepare them against the day. (p.805)
第五部 旅立ちの道 / Rue du Départ
「逃走中の共同体が集団的に夢を見ているもの」
それは「アストランからの旅」の物語で、間もなく彼は読んでいるというより、高僧と会談をしているみたいになり、この都市はまだ完全には誕生しておらず、単色の日干し煉瓦色にとどまっているのだと知る。というのも、彼らがいつか見つけたいと思っているこの派手で明るい都市は、フランクの見るところ、逃走中の共同体――(中略)――が集団的に夢を見ているものだからだ。p.1437
「私にとってシャンバラは結局、目標ではなく、欠如だった。ある場所を発見するということではなくて、私がかつていた場所、未来のないあの場所を立ち去るという行為だ。そしてその過程で私はコンスタンチノープルにたどり着いた」p.1516
参考資料
1. 『テスラ -電気の魔術師-』
テスラを理解するためにPBS製作のドキュメンタリーをNETFLIXで観た。
アメリカン・エクスペリエンス: テスラ -電気の魔術師-(NETFLIX)
番組の冒頭から『逆光』っぽいエピソードが満載。
1891年 セルビア人の科学者がコロンビア大学で発明品を披露し聴衆を驚かせました
記事によれば“テスラ氏が持った管は正義の大天使の光る剣に見えた”そうです
交流電流を発明、シカゴ万博で大々的に披露、成功をおさめたテスラ。しかし、その後は世界無線システムの開発等がうまくいかず、晩年は「戦争を終わらせる機械」とか「思考の写真撮影」などと言いはじめ、さらには地球外生命体や幽霊と交信できるという言動で世間から見放されてしまう……。
生まれたときから「光の子」と呼ばれ、エジソンからは「科学の詩人」と呼ばれた(揶揄された)テスラ。このドキュメンタリーにはシカゴ万博の場面も登場し、『逆光』読者はとくに楽しめる内容だった。
当時は電気は手品と科学とビジネスの中間に位置した
2. 方解石
ネットで小さな方解石を買った。
ほんとだ、ずれてる。世界がずれて見えるー。
3. 登場人物一覧
主な登場人物はWikipediaを参照。私はこのページを印刷して、読みながら登場人物をメモした(正確には、メモしようと試みて挫折した)。
結局、このWikipediaの登場人物リストではぜんぜん足りないのだと読み終わって気づく。丁寧に読みたい人は、自分で登場人物のメモを作ったほうがいいかもしれない。
4. 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』
たまたまインディ・ジョーンズ シリーズ『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(スピルバーグ-ルーカス)を観ていたら、なんとなくピンチョンの、とくに『逆光』の世界観、キャラ、ストーリーに通じるものがあった。「インディアナ・ジョーンズ」を100本くらい積み重ねたら『逆光』になりそう。
最後に
ブログをはじめてこの記事がちょうど100本目だ。
『インヒアレント・ヴァイス』は読んだし映画も観た。
「次の停車駅は“Bleeding Edge”です」……??
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