単行本で全5巻、総ページ数2066ページ、朗読では81時間にも及ぶ超大作をついに読み終えた。
長さに見合う読後感と体験が得られる大作である。
私は、Netflix版の『三体』が公開される前から原作を読み始めており、Netflix版のシーズン1を観終えてからAudibleで聞き終えた。
Netflix版と原作の違いを挙げてもキリがなく意味はないと思う。
しかし改めて映像と小説の違いを認識できたのは興味深かった。
つまり、映像作品は言うまでもないが映像と音声(台詞)によってしか表現ができず、人物の心情やストーリー、物理法則などは映像では描写できない。
小説は視点も記述方法も自由であり、小説がいかに自由で、あらゆるものを伝えることができるというのがわかった。
その点、『三体』においても、三体文明との違いが頭の中で考えていることを他者に隠しておくことができる点であることにも似ている。
つまり、『三体』の魅了はやはり小説を読んでしか味わえない醍醐味が遥かに大きい。
それだけ小説という媒体の自由さを最大限に生かし、巧みに描かれているのがNetflix版の映像作品と比べてわかったことだ。
『三体』は1967年の中国から始まり、5億年後の宇宙で物語は終わる。
物理学をベースに展開される宇宙理論はそれっぽいし、時代設定、次元展開、空間設定の巧みさが光っていた。
宇宙社会学の公理
- 公理1「生存は、文明の第一欲求である」
- 公理2「文明はたえず成長し拡張するが、宇宙における物質の総量はつねに一定である」
その公理からの演繹を促す条件として、宇宙文明の一般特性である「猜疑連鎖」と「技術爆発」がある。
印象に残るシーンは数えきれず、これほどのスケールの大きな話を展開させていく作品は読んだことがない。
意外なことに、読み終えてみるとさらりと、静かに終わるのが印象的だ。
クライマックスにかけて太陽系と人類が収縮していくラストは、宇宙的な視点から眺めると実は「自然な」ことだと気付かされるものだった。
私はAudibleで移動中に聴きながら読了したが、改めて読書とは時間のかかるものだと認識した。
インスタントな情報が垂れ流しの現在にいて、読書特有の時間感覚を久しぶりに味わえたことが個人的には良かった。